2006年 12月 30日
『雨間』
なつきお誕生日おめでとうSS。
遠くで蝉が鳴いている。
空は清々しく、雲は壮大で、太陽は温順に輝いている。
(暑いな……やはり上着は脱いでくるべきだった)
季節は真夏だというのに長袖のパーカを着用した少女がひとり。
なつきは、特に何の目的もなく行き先も決めず、ただ真っ直ぐに歩いていた。
額にはうっすら汗が浮かび、頬は紅潮している。
(それよりも不快なのは)
上着の袖をまくりながら視界の限界まで周りを見渡すと、繁華街から離れた脇道にも関わらず、人々が絶えず存在している。
家族、カップル、友達同士。
正に夏休みならではの光景だった。
(何がそんなに楽しいんだ?)
無表情に近い不機嫌な表情をすると、なつきは歩く速度を上げた。
人々の笑顔の理由は分かっている。しかし、それよりも不快にさせたのは、いつもなら気にもとめないことを敏感にとらえているという不可解な事実。つまりは、自分だった。
(大体今日は目覚めたときから不快だった)
なつきは今朝起きたことを自然に振り返り始めた。
八月も中旬だというのに、どこか冷気を感じる。
雨でも降っているのかとベランダに目をやると、閉まっているカーテンから透き通って見える光は間違いなく晴天を表している。
(今……何時だ……?)
私は携帯を手探りで探し当て、時間を確認しようと寝ぼけ眼に近付けた。
(……?)
しかし画面は真っ暗で、自分の間抜けな寝起き顔しかうつっていない。
(充電、切れたのか)
軽くため息をつきながら携帯を持っていた右手を床に下ろすと、ゆっくりと起き上がる。ふいに痛みが走ったが、いつものように気にすることなくストレッチを始める。不思議と寝汗はかいていなかった。
(もう慣れたな、床の上で寝るのも。しかし、昨日のオーファンの数は異常だった)
私は身体中に伺える痣を確認した。ハーフパンツとタンクトップというラフな服装から嫌でも見えてしまうそれらは、まるでチーズのカビのように所々に存在し、見ていておかしくなってくる。
仕上げの深呼吸を終えると、逃した情報を得るためにテレビの電源を入れた。
『時刻は午後十二時になりました。では最新ニュースをお伝え致します。本日、八月十五日は……』
ブツンッ。
瞬時にリモコンを手に届かない場所に置く。
自分でも驚くほどの反射神経だった。
(嫌なことを……今日は私の誕……って、どうでもいいんだそんなこと! シャワー浴びるぞ、シャワー!)
勢いよく立ち上がると少しよろめいてしまったが、さっさとスッキリして気分を紛らわせたい。
平積みされた本、積み上げられたDVD、片隅にたまっているゴミ袋。
なじみの風景を後にして、早々にバスルームを目指す。
散らかっていても私にとっては最も落ち着く場所だ。
(しかし、この違和感は何だ?)
先程からいつもの心地良さが感じられない。
まるで他人の部屋に居るような感覚だった。
私は、違和感の正体を確かめようとバスルームの入り口を背にし、大まかに部屋を見渡した。
(壁、カーテン、床、机、観葉植物。ここは間違いなく私の部屋だ)
そう認識はしているものの不快感すら溢れてくるのは、明確なひとつの自覚に追い詰められているからだった。
(……最早ただの空間じゃないか)
遠くで空気の湿った匂いが広がる。
空は灰色に染まり、太陽は雲に隠れている。
(最悪だな)
季節は真夏だというのに、冷たい雨が容赦なく降り注いでいた。
なつきは水滴がついた服を手ではらい終えると、視線を正面に戻した。
道行く人々が大慌てで走っている。いつの間にか辿り着いた繁華街は、突然何の前触れもなく訪れた大雨に対処しようと、みな必死の様だった。大半は一休み出来る店へと避難していったが、なつきだけは数台の自販機が並んでいる屋根付きの、何とも一時しのぎな場所に居た。
(どうせ通り雨だろう)
腕を組み、すぐ後ろにある自販機にもたれる。
忙しく動く世界を見続ける。
人々は、アトラクションでも楽しんでいるかのように変わらず笑顔だ。
中には脇道で見かけたカップルも居て、彼女なんかは化粧した顔を何よりも守っていたが、それでも楽しそうに走って行った。
(……)
なつきは冷めた目で自分の足下に視線を変えた。
濡れたスニーカーは増々履き慣れて見える。
(……)
(……)
(……駄目だ……!)
なつきは組んでいた腕をゆっくり解くと、両手で顔を覆った。端から見るとあくびを隠しているように自然な動作だった。
しばらくして雨音が静かになっても、私はそのままの体勢でいた。
街に活気が戻ってきているのが耳で、肌で分かる。
デュランを呼んで、今すぐ誰も居ないどこかへ行きたかった。
オーファンもこんなときに限って現れない。
きっと今の私はどうかしている。
だから、どこに居ても居場所がないと感じる。
(かといって、いつまでもこのままで居るわけにはいかない。さて、どうしようか……)
「なつき?」
ふと、聞き覚えのある声がした。
(ついに幻聴が聴こえるまでになってしまったか)
思わず苦笑いになる。
今日は何て滑稽な私だろう。
「なつき〜?」
声はどんどん近付いてくる。
買い物でもしてきたのか、ガサガサと袋らしい音までしている。
幻聴にしてはハッキリと聴こえた。
(まさか、いや、そんなはずは)
これ以上期待させるのはやめて欲しい。
私は両手に力を入れた。
「やっぱりなつきやないの。こないなとこで何してはるん?」
落ち着いた京都弁。
静留だった。
静留以外の何者でもない。
途端に動悸が激しくなる。
「雨宿りどすか?」
顔を隠した相手と会話をするなんて、冷静にみなくても奇怪なことだったが静留はお構いなしになつきに話しかけた。
「……」
しかし、返事はない。
それでも静留の微笑みが変わることはない。
「何やさっきのすごかったもんねぇ。うちはデパート内のカフェにおったから助かりましたけど」
「……」
「それにしても、ちょうど良かったわ。今からなつきん家、向かうとこやったさかいに」
「……」
「携帯何回かけても繋がらへんし、ずうっと寝てはるんか思てました」
「……」
「あ、もちろんうちが生徒会専用のやつを無断でつこてることは内緒やで」
「……」
まるで石みたいやねぇ、と言いたげに一瞬目を丸くすると静留は両腕にあった荷物を乾いたアスファルトの地面へ置き、改めてなつきと向かい合った。
お互いに初めての“非常事態”にも関わらず、静留だけは隠された顔まで見えているような、閉ざされた心まで視えているような、どこか余裕も伺える笑みをしていた。
「ほんで、なつきはいつまでそうしたはるつもりなん?」
「し、知るか!」
いきなり核心をつかれて焦ったのか、なつきはか細くも勢いのある声で返事した。
それを聴くと静留は一段と目を細め、すかさずなつきの両手首をつかむと、
「もうひとりにらめっこはせんでよろしいやろ。今日はなつきの誕生日なんやから、はよ祝わせてくださいな」
と、耳元で静かに伝えてから、門番のごとく立ち塞がっていた両手をゆっくりと下ろした。
長時間ではないにしろ固まっていたせいか足の反応が鈍かった。
私は静留に手を取られ歩いている。
近くのタクシー乗り場まで案内するためと言って離す気配はない。
いつもならさらりとかわす私も、何故か離そうとする気持ちはない。
先行く静留に視線を変えると、片方の腕にはケーキ屋の紙袋と丁寧にラッピングされた可愛い柄の袋がいくつかあった。
今更ながらあの音の正体はこれか、と納得する。
そして、それ以上の思考が膨らまないように抑止する。
それでも、戸惑うほどに溢れてくる幸福感のような、温かな気持ちは消えない。
楽しそうな人々も、繁華街のにぎやかさも、今は気にならない。
……大体今日は目覚めたときから不快だったのに。
(もうすっかり自分の部屋に居るような心地良さに浸っている一)
確信もここまで自信があると急に気恥ずかしくなってきて、私はどうにか逃げ場を作ろうと足下に視線を移す。
履き慣れたスニーカーが愛しく思えたのは、初めてのことだった。
遠くで蝉が鳴いている。
空は清々しく、雲は壮大で、太陽は温順に輝いている。
(暑いな……やはり上着は脱いでくるべきだった)
季節は真夏だというのに長袖のパーカを着用した少女がひとり。
なつきは、特に何の目的もなく行き先も決めず、ただ真っ直ぐに歩いていた。
額にはうっすら汗が浮かび、頬は紅潮している。
(それよりも不快なのは)
上着の袖をまくりながら視界の限界まで周りを見渡すと、繁華街から離れた脇道にも関わらず、人々が絶えず存在している。
家族、カップル、友達同士。
正に夏休みならではの光景だった。
(何がそんなに楽しいんだ?)
無表情に近い不機嫌な表情をすると、なつきは歩く速度を上げた。
人々の笑顔の理由は分かっている。しかし、それよりも不快にさせたのは、いつもなら気にもとめないことを敏感にとらえているという不可解な事実。つまりは、自分だった。
(大体今日は目覚めたときから不快だった)
なつきは今朝起きたことを自然に振り返り始めた。
八月も中旬だというのに、どこか冷気を感じる。
雨でも降っているのかとベランダに目をやると、閉まっているカーテンから透き通って見える光は間違いなく晴天を表している。
(今……何時だ……?)
私は携帯を手探りで探し当て、時間を確認しようと寝ぼけ眼に近付けた。
(……?)
しかし画面は真っ暗で、自分の間抜けな寝起き顔しかうつっていない。
(充電、切れたのか)
軽くため息をつきながら携帯を持っていた右手を床に下ろすと、ゆっくりと起き上がる。ふいに痛みが走ったが、いつものように気にすることなくストレッチを始める。不思議と寝汗はかいていなかった。
(もう慣れたな、床の上で寝るのも。しかし、昨日のオーファンの数は異常だった)
私は身体中に伺える痣を確認した。ハーフパンツとタンクトップというラフな服装から嫌でも見えてしまうそれらは、まるでチーズのカビのように所々に存在し、見ていておかしくなってくる。
仕上げの深呼吸を終えると、逃した情報を得るためにテレビの電源を入れた。
『時刻は午後十二時になりました。では最新ニュースをお伝え致します。本日、八月十五日は……』
ブツンッ。
瞬時にリモコンを手に届かない場所に置く。
自分でも驚くほどの反射神経だった。
(嫌なことを……今日は私の誕……って、どうでもいいんだそんなこと! シャワー浴びるぞ、シャワー!)
勢いよく立ち上がると少しよろめいてしまったが、さっさとスッキリして気分を紛らわせたい。
平積みされた本、積み上げられたDVD、片隅にたまっているゴミ袋。
なじみの風景を後にして、早々にバスルームを目指す。
散らかっていても私にとっては最も落ち着く場所だ。
(しかし、この違和感は何だ?)
先程からいつもの心地良さが感じられない。
まるで他人の部屋に居るような感覚だった。
私は、違和感の正体を確かめようとバスルームの入り口を背にし、大まかに部屋を見渡した。
(壁、カーテン、床、机、観葉植物。ここは間違いなく私の部屋だ)
そう認識はしているものの不快感すら溢れてくるのは、明確なひとつの自覚に追い詰められているからだった。
(……最早ただの空間じゃないか)
遠くで空気の湿った匂いが広がる。
空は灰色に染まり、太陽は雲に隠れている。
(最悪だな)
季節は真夏だというのに、冷たい雨が容赦なく降り注いでいた。
なつきは水滴がついた服を手ではらい終えると、視線を正面に戻した。
道行く人々が大慌てで走っている。いつの間にか辿り着いた繁華街は、突然何の前触れもなく訪れた大雨に対処しようと、みな必死の様だった。大半は一休み出来る店へと避難していったが、なつきだけは数台の自販機が並んでいる屋根付きの、何とも一時しのぎな場所に居た。
(どうせ通り雨だろう)
腕を組み、すぐ後ろにある自販機にもたれる。
忙しく動く世界を見続ける。
人々は、アトラクションでも楽しんでいるかのように変わらず笑顔だ。
中には脇道で見かけたカップルも居て、彼女なんかは化粧した顔を何よりも守っていたが、それでも楽しそうに走って行った。
(……)
なつきは冷めた目で自分の足下に視線を変えた。
濡れたスニーカーは増々履き慣れて見える。
(……)
(……)
(……駄目だ……!)
なつきは組んでいた腕をゆっくり解くと、両手で顔を覆った。端から見るとあくびを隠しているように自然な動作だった。
しばらくして雨音が静かになっても、私はそのままの体勢でいた。
街に活気が戻ってきているのが耳で、肌で分かる。
デュランを呼んで、今すぐ誰も居ないどこかへ行きたかった。
オーファンもこんなときに限って現れない。
きっと今の私はどうかしている。
だから、どこに居ても居場所がないと感じる。
(かといって、いつまでもこのままで居るわけにはいかない。さて、どうしようか……)
「なつき?」
ふと、聞き覚えのある声がした。
(ついに幻聴が聴こえるまでになってしまったか)
思わず苦笑いになる。
今日は何て滑稽な私だろう。
「なつき〜?」
声はどんどん近付いてくる。
買い物でもしてきたのか、ガサガサと袋らしい音までしている。
幻聴にしてはハッキリと聴こえた。
(まさか、いや、そんなはずは)
これ以上期待させるのはやめて欲しい。
私は両手に力を入れた。
「やっぱりなつきやないの。こないなとこで何してはるん?」
落ち着いた京都弁。
静留だった。
静留以外の何者でもない。
途端に動悸が激しくなる。
「雨宿りどすか?」
顔を隠した相手と会話をするなんて、冷静にみなくても奇怪なことだったが静留はお構いなしになつきに話しかけた。
「……」
しかし、返事はない。
それでも静留の微笑みが変わることはない。
「何やさっきのすごかったもんねぇ。うちはデパート内のカフェにおったから助かりましたけど」
「……」
「それにしても、ちょうど良かったわ。今からなつきん家、向かうとこやったさかいに」
「……」
「携帯何回かけても繋がらへんし、ずうっと寝てはるんか思てました」
「……」
「あ、もちろんうちが生徒会専用のやつを無断でつこてることは内緒やで」
「……」
まるで石みたいやねぇ、と言いたげに一瞬目を丸くすると静留は両腕にあった荷物を乾いたアスファルトの地面へ置き、改めてなつきと向かい合った。
お互いに初めての“非常事態”にも関わらず、静留だけは隠された顔まで見えているような、閉ざされた心まで視えているような、どこか余裕も伺える笑みをしていた。
「ほんで、なつきはいつまでそうしたはるつもりなん?」
「し、知るか!」
いきなり核心をつかれて焦ったのか、なつきはか細くも勢いのある声で返事した。
それを聴くと静留は一段と目を細め、すかさずなつきの両手首をつかむと、
「もうひとりにらめっこはせんでよろしいやろ。今日はなつきの誕生日なんやから、はよ祝わせてくださいな」
と、耳元で静かに伝えてから、門番のごとく立ち塞がっていた両手をゆっくりと下ろした。
長時間ではないにしろ固まっていたせいか足の反応が鈍かった。
私は静留に手を取られ歩いている。
近くのタクシー乗り場まで案内するためと言って離す気配はない。
いつもならさらりとかわす私も、何故か離そうとする気持ちはない。
先行く静留に視線を変えると、片方の腕にはケーキ屋の紙袋と丁寧にラッピングされた可愛い柄の袋がいくつかあった。
今更ながらあの音の正体はこれか、と納得する。
そして、それ以上の思考が膨らまないように抑止する。
それでも、戸惑うほどに溢れてくる幸福感のような、温かな気持ちは消えない。
楽しそうな人々も、繁華街のにぎやかさも、今は気にならない。
……大体今日は目覚めたときから不快だったのに。
(もうすっかり自分の部屋に居るような心地良さに浸っている一)
確信もここまで自信があると急に気恥ずかしくなってきて、私はどうにか逃げ場を作ろうと足下に視線を移す。
履き慣れたスニーカーが愛しく思えたのは、初めてのことだった。
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by cyawasawa
| 2006-12-30 23:58
| HiME SS(14)